第13話
クリスマスの日には



 僕は学校給食にはいい思い出がない。
 今でもそうだが僕は食べる速度がかなり遅く、しかも黙々と食べることが出来ないのでついついおしゃべりなどもしてしまって、ますます速度が落ちるということがたびたびある。 逆にその分よく噛んで食べているのであまりたくさん食べなくてもすぐに満腹になる。これは今では長所の一つだが、しかし学校給食ではそうはいかない。
 速度が速い人も遅い人も、体が大きな人も小さな人も、等しく決まった分量の食事が出る。それが学校給食だ。

 僕の通っていた学校は給食のあとは昼休みがあり、その後大掃除があった。つまり食事が遅いと自動的に昼休みの時間が少なくなり、もっと遅いと大掃除でホコリが舞い上がる中で食事をしなければならなくなる。
 さすがにそれは不味いということになったのか、大掃除まで食い込む状態になると自分の給食を持って専用に用意された個室に行きそこで食事をするという制度が出来た。 全校中から集いし精鋭たちがそこで食事をする。つまりその中で最も遅い生徒がキング・オブ・遅食い生徒である。遅食い選手権チャンプ、である。
 食事が遅かった僕でもさすがにその部屋に行ったのは1回だけだったが、部屋から戻ってきたときにはもう5時限目が始まっていて恥ずかしい思いをした。

 さてそんな給食だったが、それでも僕は当時割と満足していた。嫌いな食べ物もあることはあったが特に好き嫌いが激しかったわけでもないので苦痛ということはなかった。
 ところが、である。
 どうやら僕は井の中の蛙だったようなのである。あの程度の給食で満足しているとはうい奴じゃのう、だったのである。

*

 えーと、みなさんの給食ではデザートというとケーキとかプリンとか、そういった物が出たりしたんでしょうか。あまつさえクリスマスの日の給食ではクリスマスケーキが出たりしちゃったんでしょうか。
 僕が長野に来てそれぞれ他県から集まってきている会社の同僚たちと話をすると、どうやらそういった給食が出る地域があるようなのだ。いや、どちらかというとそういった地域の方が優勢だったりするようなのである。
 僕の地域では、デザートといえばまず筆頭は牛乳かん。コレ。牛乳かんが出たらクラスの大食漢が色めきだってにわかに教室内は戦場になる。 クリスマスだろうが何だろうがメニューに差は無く、牛乳かんだったら牛乳かんなのである。戦場のメリークリスマスとはこのことだ。
 ところがこの牛乳かん、他県の人たちは存在すらも知らないようなのだ。牛乳かんというのは杏仁豆腐に似た白い寒天だ。庶民向け杏仁豆腐とでも言った方がいいのだろうか。
 それから次に思い出されるのは冷凍みかん。いくらみかんの有数の産地だからといってもこれはどうなんだろう、というほど冷凍みかんの日が多かったように記憶している。 冷凍みかんと言えば、給食を食べている間にみかんが常温に戻らないようにハンカチでくるんでおくという手法があった。 よく理科の実験で「次のうち、一番最後まで氷が溶けないのはどれか。1.うちわであおぐ。2.放置する。3.綿でくるむ。」という問題があって、 正解は一見涼しそうな1ではなく、意外や意外、暑苦しそうな3であるなどというのがあるが、それを僕たちは先生から教わるのではなく冷凍みかんを通じて実体験で学んだ。
 他にデザートというと、大体バナナの輪切りとかリンゴなどのカットフルーツが関の山でケーキなんて見た記憶がないんだが、みなさんは違うのだろうか?

 むろん、差異があるのはデザートだけではない。みなさんの給食にはミルメークとかいうアイテムがあったりしたんだろうか? 牛乳に入れるとコーヒー牛乳味になったりする魔法のアイテムらしいのだが、僕はそのミルメークを初めて見たのは就職して長野に来てからだ。コンビニで売られていた。そして未だにどんなシロモノなのかは知らないままである。 大人になって牛乳の過剰摂取は肥満につながるなどと言われるようになった今、もしかすると僕は一生知らないまま墓の下に行くことになるんだろうか。
 それからパンも違っていた。パンは割と地域性が強いのか食パン派とコッペパン派の2つの大きな勢力に分かれるようだ。 しかし問題はそこから先で、えーと、みなさんの給食ではパンに塗るジャムやらクリームといった洒落たアイテムが普通に出ていたのだろうか? 素の食パンを丸かじり、あるいはそれがどうしても辛いならちぎって椀をきれいにするかのごとく拭き取るようにしてシチューか何かを付けて食べたりというようなことは日常的に行われていなかったんだろうか?
 僕の記憶だと、クリームやジャムのようなアイテムは確かに出ることは出ていた。だがそれは週に1回程度の頻度であって、貴重品だった。 そこで僕たちはどうしても辛いときのためにと、それらアイテムは極力使わないで机の奥に温存しておくようになった。 いざ、というときのための保険だ。僕の生まれ育った静岡県は地震のメッカであり、いつやってくるとも知れぬ東海地震に備えて各家庭にはカンパンが常備されているいわば地震先進県だ。 僕たちは備蓄の重要性を先生から教わるのではなくジャムを通じて実体験で学んだ。

 他にも、鯨の肉が出たという話を聞いて僕も以前それらしいものを1回食べたことがあったな、と思ったのだけどもよくよく検証してみたらそれは鯨の肉なんかではなくて、 酒のツマミの乾燥ツナというのか、四角いブロック状になっている魚肉フレークだったとかいうこともあった。何で給食にそんな物が出たのか未だもって謎である。

*

 こういったことを同僚たちに話すと一人だけ浮いてしまうのだった。どうやら、僕は給食発展途上地域の住人だったのだ。弟や同郷の同僚は深く同意してくれるが、他県の住人には哀れみの目で見られてしまう有様だ。

 …本当にクリスマスの日には七面鳥が出たりしたんですか?

つづく



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