第8話 ドラクエより大作 それは自然発生的に持ち上がった話だった。 中学3年のある日、僕とツヨシはシャープのX−1というパソコンを使って超大作RPGの制作をブチ上げた。またしてもツヨシの話で申し訳ない。 超大作RPGといってどれくらい大作なのかというとちょうど同時期に世間ではドラクエ2が発売されたばかりで、確か何かの雑誌に「ドラクエ2のマップは1のそれと比べてなんと16倍!」 みたいなことが書かれていたのだけど(縦横4倍ずつで面積にすると16倍)、そのあおり文句を見て「なにおぅ!?こっちは縦横8倍の64倍だ!」と無闇な面積拡大競争に燃えていたくらいの大作だ。 言うなればドラえもんの「メカ・メーカー」の回でのび太がとてつもなくデカい設計図を書いてドラえもんに「大きけりゃいいってものじゃないよ!」と怒鳴られた、あの心境だ。今ならそんな明日無き戦いはしないが、当時僕たちは若かった。 量こそ正義、と信じて疑わない、向こう見ずな若造だったのだ。 さて作ることが決まれば、次は人選である。企画全般と、ストーリー、グラフィック(ドット絵)は僕でプログラマはツヨシ。ここまでは定番。 違うのはこの先で、キャラクターデザインが同級生のSという男だ。 このSにモンスターデザインなどをやってもらった。約100体くらいいた。 音楽は第3話で自転車を木っ端微塵に大破させたシノハラ君だ。作曲できる貴重な戦力として参加してもらった。 ――そして、合い言葉は「ドラクエより大作」になった。
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まず企画内容の紹介をしよう。 ストーリー:主人公は旅の冒険者。とある国に立ち寄るとそこの国王に「ニワコウを倒してくれ!」と言われる。ニワコウというのは、名前にはとある由来があってちょっとここでは教えられないがとにかく「ニワトリの怪物」である。 王様が飼っていたニワコウという名前のニワトリが凶暴化して、街から離れたところにある8階建ての塔のてっぺんに居座っているのだ。 そのニワコウを倒す旅が今!始まる。 ちなみに大どんでん返しとして、晴れてニワコウを倒した主人公が国王の元に行くと、実は真の黒幕は国王で精も魂も尽き果てた状態で最後の戦いを強いられるという。 …みなさんもう薄々「おや?これは…」と思っているかと思うが、僕も今テキストにしてみて何となく思った。 これは、いわゆるクソゲーという奴なのではないか?第一、話が電波系過ぎてテキスト書いてる僕も頭がこんがらがってきた。しかし、実は困ったちゃんな設定はまだまだ続くのだ! ゲーム内容:とにかく特筆すべきシステムらしいシステムはない。ドラクエを初めとした国産RPGの戦闘部分だけが延々続くと思って頂ければほぼ間違いない。しかも当時は妙に65536という数字に執着があって、至るところで使っていた記憶がある。 HPの最大値とか。初期値が100くらいで最大値が65536だ。650倍だ。HP初期値が20くらいのドラクエ換算だと最終ボス前で勇者のHPが13000くらいある計算になるのだ。ムチャもいいところである。 RPGにおなじみの呪文ももちろん登場する。しかしこれがまた困りもので、例えばHP回復の呪文が「へしまきどてへちこちけちけ」なのだが、「へしまきこちけちどてへちけ」という(ぱっと見、違いが分からない)呪文もあって、 こっちは使うと自爆して大ダメージという呪文なのだ。ワナとしか思えない。意図的にやったのか何も考えていなかったのか、今となっては思い出すことすら出来ない。 そしてマップは、最初に掲げた通り、ドラクエ1の64倍の広さだ。これはフィールドマップだけでこれだけあった。確かドラクエ1のマップは縦横64ブロックで構成されていた。その広さのマップを1マップという単位とする。 ドラクエ1が1マップで、作ろうとしたゲームは64マップ分あったわけだ。 さらにここに塔の内部とかのマップが追加される。ここでも大艦巨砲主義はいかんなく発揮されて、塔1フロアで1マップ分の広さがあった。つまり塔1階分だけでドラクエ1のマップと同等の大きさがあったのだ。 これは改めて言うまでもなく、途方もなく大きい。しかも塔の内部は迷路なのだ。中には「通り抜け出来る壁」「マッピング(当然当時はオートマッピングなどという便利な機能はないのでプレイヤーが自力で方眼紙にマッピングする) するとヒントの文字が浮かび上がる」などなど陰険な作りの階もあった。そしてその塔がどれだけあるかというと、「この世界には7つの塔があり、その塔を全て制圧すると最後の塔(ニワコウがいる塔)が現れる。 それぞれの塔は8階建て」という設定だった。塔だけでドラクエ1のマップ64枚分だ。 そして、これほどまでに広いマップなのに、出てくる街はたったの3つしかなかった。砂漠でオアシスを探すより困難だ! そんなわけで広大な面積に心奪われていた僕たちが、まず何はなくともマップを作らねばならぬ、ということで最初にとった行動は方眼紙を買ってきてそれを切り張りして巨大な方眼シートを作ることだった。 ここに絵の具でガーッとマップを描いていく。出来上がったそのマップをデータ化していくのだ。 次に僕はモンスターのデータとアイテムのデータの作成に取りかかった。ツヨシはマップエディタとドット絵お絵かきツールを作っていた。 そしてその間にサカザワに頼んでおいたイラストは続々と上がってきた。結構めちゃくちゃなキャラが多かったように思う。しかしすでにストーリーもテンパっているし、 何より後頭部の辺りから妙な体内エキスがガンガン流れ出ているようなテンションだったので全てOKとした。 こうしてこのゲームはますます得体の知れない方向へと驀進していったのだった。 さて気ばかり焦っていた僕たちが次に手をつけたのがスタッフロールだ。別にどこに出すわけでもないのにマップ作成作業を放り出してスタッフロールを入れようとするあたりが虚栄心だけ突っ張っていたことを如実に物語っている。 いかにも若造が考えそうなことだ。よく「恋に恋する」というシチュエーションがあるけれど、これはそれに近い。ゲームを作ることが主目的になっていて、本来の「人にゲームをプレイしてもらって楽しんでもらう」 という真の目的がゴッソリ欠落しているのだ。(このゲームだけに限れば、どこに出すわけでもなかったのである意味作ることが主目的だった、とも言えるが) 大体、スタッフロールなんてのは画竜点睛、最後に描く竜の目玉だ。先に描こうという考えがそもそも間違いだった。 再び話は脱線するが、この、主客転倒な考え方は得てして世の中に多く起こる。東大に合格するためにバリバリ勉強していざ合格したら何をしたらいいか全然分からなくて腑抜けになってしまうというのもそうだろう。 今、僕は会社で企画の応募作品を見たりもしているのだけど、うちにくる応募の5〜6割はそういう作品だ。先のことを考えていないのだ。僕はそれを「俺ゲー」と呼んでいる。 自分のためのゲーム。それが俺ゲーだ。自分が楽しければいいので、人が楽しいと思うかどうか、そんなことはお構いなしのエゴだらけの企画になる。ちなみにその手の企画の傾向としてはやたら分厚い設定資料が添付されていたり、 族のチーム名みたいな、読み方もろくに分からないややこしい名前(日本人名)のキャラクターばっかりだったり、やけに宗教がかっているか哲学色が強かったり、そんな感じのものが多い。その割に肝心の企画本体は全然触れられていなかったりする。 もし今ゲーム業界に入りたくて企画書を書いている、という人がいたらこういう作品にはしない方がいいです。たぶん。 …それはさておき、スタッフロールだ。ちょうど当時辺りからゲームのスタッフロールは肥大化の傾向に向かいつつあった。映画のそれの如く、数十人の名前が連なるようになっていた。そして僕たちはそんなスタッフロールが格好いいと思っていた。 となると当然真似だ。大艦巨砲主義だ。向こうが30人ならこっちは50人くらい名前を連ねよう。しかし悲しいかな、実際は4人しかいないからそれはもうありとあらゆる役職を考えて、 名前を適当にでっち上げて(全部自分たちのあだ名)そんなことで僕たちは十分満足していたのだった。
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* しかし、こういう楽しい夢の時間はある日いきなり、本当に唐突に終焉を迎えた。 学校の授業中にせっせとデータを作っていた僕とツヨシである。学校の成績は別段落ちることはなかったが、しかし先生方の心象をとても悪くしたのか内申点はガツンと落ちた。 何しろ中学3年の時の話だ、当然親の「勉強しなさい」攻勢は苛烈の一途を辿った。 そんな中、二つの事件が起こった。 まずはツヨシの家の雨漏り事件だ。例の巨大な方眼マップは、床に置けないほどの広大さを誇っていたので帝国軍の作戦参謀室よろしく壁一面に張り付けられていたのだが、ちょうどそこに雨漏りが発生したのだ。 水彩絵の具で塗ってあるマップだったから、それはもう見るも無惨な姿へと変貌した。修復は不可能だった。この時点で僕たちのやる気ゲージは激減だ。 そしてもう一つが親に発覚事件だ。要するに、私の部屋を親に家捜しされたのだがそのときにせっせと作った設定資料やらデータやらサカザワの絵やらが全て、キレイさっぱり処分されてしまったのだ。 これはへこんだ僕たちに確実にとどめを刺すものだった。 資料の大半を消失した僕たちは、ここで完全にゲーム制作を投げてしまった。これが例えば「大賞は賞金100万円!」とかそういうコンテストに応募するといった、大儀な目的があれば良かったのだが何しろ動機が不純で希薄すぎた。 結局僕たちは受験直前という重要な時間をただ無為に過ごしたこととなる。そしてその結果第一志望の高校受験に失敗してものの見事に滑ってしまっては親でなくとも「ゲームなんかやるな!」と言いたくなるだろう…。
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だけど、世の中というのは上手く出来ているものだと思う。禍福は糾える縄の如し、である。人間万事塞翁が馬、である。そんな、高校受験を失敗する要因となったイケてない経験が、今ここで役に立っているのだから笑ってしまう。 多分、あのときゲームを作らないで普通に勉強して、第一志望に合格でもしていたら今頃僕はここにいないだろう。 どっちの人生がより優れているかは分からないけど、僕は今あのとき失敗して良かったと思っているのだ。 つづく |