第3話
しのやんの自転車



 しのやんの家は豪邸だ。
 僕の実家も、小さいと思ったことは一度もないがそれでも彼の家と並べると霞んでしまう。それほど彼の家は大きかった。理由は単純で、彼の親は凄腕で鳴らす医者だからだ。つまり、しのやんは医者の息子である。
 僕の周りにはどういうわけか医者の息子や娘がたくさんいて、彼らのほとんどはやはり将来医者になりたい、と思っていたようだった。(一部、不運にもオタク道に首を突っ込んで修復出来ない道を歩んでしまっている人もいるけど) しのやんも医者になるため日夜勉強していた。浪人して国立大の医学部に入学したという話を聞いたのは僕が大阪での一人暮らしを堪能していた頃だった。
 さてそんなしのやんであるが、ガリ勉の真面目男かと思いきや実は結構悪い男であった。よくイタズラをしては先生に怒られたりもしていた。家がツヨシの家の2軒隣ということもあって、よくツヨシの家にもやってきた。 余談になるが、僕たちがX−1のゲームをやっている横で曲を聴いていて次の日に譜面にして持ってくるという芸当を披露したこともあった。聞くと幼少の頃、ピアノを習っていたらしい。医者の息子で家は豪邸、ピアノも演奏出来て、本人も医者の卵。 長身で、丸いインテリ風の眼鏡が似合う男前、それがしのやんだ。こう書くと完璧なサラブレッドだが、しかし自転車で5人乗りをするような男でもあった。
 前フリが長くなったが、今回はこの自転車5人乗りの話がメインなのだ。

 ある日、僕が下校しようと学校の門を出ると、そこに1台の自転車に群がって悪戦苦闘する集団がいた。近づいてみるとシノハラ君、ツヨシ、そして同級生の二人である。
「何してんの?」
「ああ吉池か。これから中国雑伎団の真似をするんだ」
「???」
「昨日、自転車の4人乗りに成功したんだけど長坂が下りられなくってさ。今日こそ成功させる」
 話を聞いてみると、つまりこうだ。僕を含めその場に居合わせた全員は、みな同じ地区に住んでいて下校ルートが全く同じである。そのうちシノハラ君とツヨシの家が最も遠く、二人は学校の定める通学距離ぎりぎりで自転車での通学が許可されていた。
ツヨシは普通に歩いてきていたがシノハラ君だけは自転車で毎日通っていた。そして前日、シノハラ君と一緒に帰った連中が言ったのだ。「ねー、(自転車の)後ろに乗せてよー。帰るの楽じゃん」と。 そこで4人乗りをすることになったのだが、彼らの前に大きな壁が立ちはだかった。それが「長坂」である。
 僕の通学していた中学の前を通る道は、門を出てからものの50mも行かないうちに文字通り長〜い下り坂になる。下り坂の距離はざっと500m。 中間点付近に三叉路がありまっすぐ行くとそのまま下りで、僕たちの通学路はその三叉路を曲がっていく方面だ。一人で下るのも結構度胸が必要な坂なのだが、それを4人乗りで下ろうとしたところ全員臆病風に吹かれて中断したというのだ。
「曲がれば平坦だから曲がってしまえばこっちのもんなんだけど…そこまで行けそうにない」
「ふ〜ん、面白そうなことしてるね」
 思えばこの一言が余計だったんである。
「それじゃあ5人乗りにしようぜ!4人が出来たんだから次は5人だよな!」

 かくして後先を省みない暴挙が始まった。
 自転車の持ち主であるシノハラ君をサドルに、その前に僕が、さらにハンドルと僕との小さなスキマに身体の小さなツヨシが収まった。後部の荷台に同級生が一人座り、さらにその同級生に身体の小さい同級生がコアラの如く張り付いた。
 準備は万端。
「いくぜー!!」
 号令一閃、シノハラ君はペダルに力を掛けた。ひとたび動き出すと、もはやどうにもならない。ひたすらブレーキで減速しながら坂を下るのだが、1/4くらいまで来たところでふと妙に加速が進んでいることに気が付いた。
「なあ!ちょっと速いって!ブレーキブレーキ!」
 するとシノハラ君は叫んだ。
「こっちも限界までかけてんだ!何かブレーキが利いてないような……あっ!」
 バキン!という音と共に前輪のゴムブレーキが吹き飛んだ。摩擦の減った自転車はさらに加速を早める。
 今思うと、あのとき対向車がいなかったのが幸いだった。三叉路を曲がるためには右折しなければならなったからだ。もし対向車がいたら右折出来ずそのまま坂を一直線に下ることになっていただろう。坂の下は信号機のある交差点で、交通量も多い。 そこまで行っていたら今頃天国で花でも摘んでいたかも知れない。
「曲がれ曲がれ!!」
 5人が5人、みな必死である。全員で体重移動をし、どうにか右折すると今度は前方にちんたらと走っている原付を発見した。速度差は明確でハンドル操作がほとんど出来ない以上、このまま行けば原付に激突するのは火を見るより明らかであった。
「おばちゃんどいてーーーー!!」
 全員の悲痛な絶叫も空しくおばちゃんはマイペースで原付を走らせる。無関係の人を巻き込むのはさすがにマズイ!そう判断したシノハラ君は最後の力を振り絞ってハンドルを切った。刹那、自転車は横転し5人は宙に舞った。

「…大丈夫か」
 みんな身体のあちこちをさすりながら立ち上がった。幸い誰も大きなケガはなかった。最前列にいたツヨシが頬を地面にこすって擦り傷が出来たくらいで、奇跡的にみなピンピンしていた。
「あのおばちゃんめ、全く反応しなかった」
 彼方に去る原付を恨めしそうに見つめ、毒づく。
「けど5人乗りは達成出来たな!おばちゃんがいなかったら転ぶこともなかっただろうし」
 そう言って何気なく倒れている自転車を見て、みな仰天した。自転車は豪快に破壊されていた。破損個所は、前輪後輪のパンク、スポーク21本、前輪後輪のブレーキ、ライト、ハンドル。ホイールのシャフトが曲がっていたので車輪はピクリとも回転しない。 シノハラ君の自転車は、一瞬にして鉄クズと化していたのだった。後日、自転車修理代だけで合計15000円もかかった、という話を漏れ聞いた…。

*

*

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 さて次の日。朝のホームルームの時間。担任の体育教師オオスミ先生が教室に入ってくるなり言った。
「昨日そこの坂で何人乗りだか分からないが4、5人で自転車に乗っている生徒を見た、という近所の住人の報告があった!まあ3年にもなってそんなことをするとは思えないが…くれぐれもバカなことはしないように。 ………おいツヨシ、その頬のケガは何だ?」
 ツヨシの頬にはガーゼが張り付けられていた。教室内に緊張が走る。僕やシノハラ君は思わず下を向いた。
「ああ…これは……ちょっと転んじゃって……大したことないっス」
「そうか…お前も気を付けろよ」
 事なきを得た、そうほっと一息ついた僕たちであったが、次の瞬間学級委員のスズキさん(真面目キャラ)が立ち上がった。
「先生!!僕、昨日オオタ君が5人乗りしているのを見ました!!」
「なにーー!!」
 教壇に呼び出されたツヨシ。こうなると犯人が芋蔓式に全員判明するまでに時間はかからなかった。5人とも整列させられ、案の定頭上に正義の拳が炸裂したのだった。

*

 シノハラ君との接触が無くなって久しい。僕が大阪に行って以来だから、もうかれこれ10年になる。そして長野に住むことに決めたこともあって今は全く音沙汰がない。
 小中高12年間同じ学校だったから、彼との思い出は色々ある。が、今すぐに思い出せるのはこの5人乗りの事だけだ。多分それだけインパクトのある出来事だったんだろうな、と今にして思う。
 あの自転車修理代は、確か5人で3000円ずつ割り勘にしようかという話をした記憶がある。しかし、結局あれからついにその割り勘を払うことはなかった。 もし、またいつか、どこかで会うことがあったら僕はその時に払おうと思っている。
 もう覚えていないかも知れないけれど。

つづく



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