第2話
ミニチュア腐海



「なあ、知ってるか? 牛乳にレモンの汁を入れると凝固してヨーグルトになるんだぜ?」

 給食の時間、隣の席に座っていたツヨシが僕に言った。その日の給食はシチューに焼き魚だった。魚にたらすためにレモンの小片が1個ずつ付いていた。
「固まるのは知ってるけどさあ。ヨーグルトにはならんだろ?」
 僕の言葉にツヨシは自信満々に言った。『まあ、見てなって』
 ツヨシはシチューを平らげるとそのシチューの入っていたスチールのお椀を洗い、その中にパックの牛乳を流し込んだ。そしてレモンを搾った。
「これでしばらくしたら固まるはずさ」そう言って食パンをパクついた。
 しかし給食を食べ終わっても牛乳は固まらなかった。「おかしいな?」ツヨシは僕のだけでなく同じ班(40人の教室だったため、4人1組で10個の班に分けられていた)のレモンを全て投入し、そして言った。
「もっと時間が必要かも知れない」
 給食の後は昼休みだ。ツヨシのお椀以外の全ての食器が片づけられ、生徒はみな思い思いの事をし始めた。牛乳は少しずつ固まり始めていたが、しかしヨーグルトと呼べるほどの物にはならなかった。
 昼休みが終わり掃除の時間になったころ、ツヨシが僕のところに来て小声で言った。
「大分固まってきたけどちょっと牛乳の量が多かったみたいだ。このまま置いておくと先生にばれるから、隠すことにしよう」
 にわかに悪事の香りが漂い始めた。当時中学3年生。ツヨシは相当の問題児で、1000人からなる我が中学において知らぬ者は無し、と言われるほど悪戯ネタに事欠かない小悪党ぶりを発揮していた。 僕も悪戯好きだったので身を乗り出した。(どうやら僕もそういう意味では有名人だったらしい)
 どこに隠す、という僕の問いにツヨシはお椀を持って廊下に出た。
「誰も知らないみたいだけど、実はいい隠し場所があるんだ」
 そう言って僕を連れていったその先に、消火栓があった。学校の廊下に各階必ず1基か2基は設置されている、あの赤い箱だ。箱は上下2分割されている。ツヨシは何のためらいもなくつまみを引っ張って扉を開けた。
「ほら、見ろよ。下の扉を開けても中身はホースが詰まってるだけでどうにもならんけど、この上の扉。赤ランプと火災報知ベルがあるだけで中身がらんどうだろ? ここに隠そうぜ」
 よくもまあ、こんな場所を知っていたものだ! 感心した僕はツヨシの提案に無条件にうなずいた。そして、地震が来て揺れてこぼれるとマズイから(地元は年中巨大地震が来る、と言われ続けている地域なので地震対策にはうるさいのだ。 最近は言われ続けている割にちっとも来ないからむしろ他地域よりも気が緩んでいる気がするけど)お椀を接着しようという話になり、丁度技術の時間に使っていた強力接着スプレー「707」をお椀の下部に吹き付け、張り付けた。
 先生にばれたら怒られるからな、これは二人だけの秘密だ。お互いそう念を押し、そっと消火栓の扉を閉じた。

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 ある日のこと、授業が終わって帰りのホームルームの時間。担任で体育教師のオオスミ先生が教室に来るなり、吠えた。
「掃除の時間に、6組の先生が、ここのところ廊下で妙な匂いがするってんで調べたところ、消火栓の中からこんな物が出てきた!」
 後ろ手に持っていた物を教壇の上に掲げる。みると、それはあのお椀だった。
 一瞬何だったか思い出せず、直後にあっと思った。それもそのはず、何とあれから実に一月が経っていたのだった。
「ご丁寧に接着までされていて、6組の先生じゃ固くて剥がせないってんで俺が剥がしたが……。6組じゃ接着剤を使うような授業はやってないって言うし、場所から言って5組の生徒じゃないですか? と言われた!」
 そう言ってオオスミ先生はゆっくりと教室を見回した。静まりかえる5組の教室。思わず僕もツヨシも目を合わさないように伏し目がちになる。
 しかしオオスミ先生の目はしっかりツヨシを見ていた。
「ツヨシ……、お前か?」
 それはもう悪事の限りを尽くしてきた男であるから、真っ先に疑われるのはいわば自業自得。 うつむいて「いえ、知りません」などと小声で呟いてみるも基本的にツヨシはあまりウソのつけない男であったので体育教師オオスミ先生の厳しい言及についに口を割った。
「吉池も一緒にやりました!」
 仰天したのは僕だ。ツヨシよ、そういう言い方をするか?
「なにー! 吉池もか!! ……二人とも前に出てこい!」
 教壇まで呼び出された僕たちはそこで凄い物を見た。あのお椀はすでにお椀と呼べる代物ではなくなっていて、言うなれば「ミニチュア腐海」であった。見たこともない植物がわんさか生えていた。蟲がいなかっただけまだ救いか。
 そして、うへえ、と思う間もなく僕たちの頭上に正義の拳が炸裂したのだった。


 ちなみにその後どうなったかというと、僕たちは「これをしっかり洗え! ちゃんと使えるまで!!」と言われてその腐海を洗うハメになったのだった。 しかしこういう言われ方をされると変なところで意地を張ってしまう僕たちは「ようし、見てろ」とせっせと洗い始め、ホームルームの終了前くらいにみんなの前でそのお椀になみなみと水を注ぎ、 一気飲みをするというデモンストレーションをして喝采を浴びた。そして、その喝采がシャクにさわったらしいオオスミ先生にもう一発お見舞いされた。

 みんな、公共物は大切にしようね。

つづく



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