第1話
二人のオオタ君



 僕は今、家庭用ゲーム機のゲームデザインをするという、企画屋の仕事をしている。
 ファミコンからこっち、すでに20年近い歳月が経ち、生まれたときからすでに身の回りにはゲーム機があったという子供たちもたくさんいることだろう。 そういうこともあってか、聞くところによるとゲームを作る仕事というのはそれなりの人気があるらしい。
 だけど、人気はあるものの生きていく上でそんなに必要な物ではないゲームという嗜好品を作る仕事というのは、言ってみれば社会の仕組みから逸脱したところで勝手にくるくる回っている、他と連結していない歯車のようなものだろうと思う。 そして、僕の幼少の頃にはファミコンなどというものは存在していなかった。ファミコンが僕の身の回りに登場したのは、確か小学校5年のことだったように記憶している。
 そこで僕はふと思った。一体ぜんたい、僕はいつからこんなはぐれ歯車のような仕事に憧れ、今に至るようになったのかと。 僕も小学生の頃にはそこいらの普通の男の子のように「将来はパイロットになりたいです」とか「サッカー選手になりたいです」などと作文の時間にでも書いていたのではなかったか、と。

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 ……そんな作文はこれっぽっちも書いていなかった!
 実家が航空自衛隊浜松基地のすぐ側にあって、この浜松基地というのは今でこそ本拠を松島基地に移してしまったけど当時はアクロバットチーム「ブルーインパルス」の本拠地で、 毎日午後1時くらいになると頭上でアクロバットの演習をしていたので当然僕もパイロットには憧れていた。しかし友達の家に遊びに行ったとき、その友達の親(自衛官)にそういう話をしたら「パイロットになるには視力が良くないといけないんだ」 と言われて断念した記憶がある。……そう、僕は小学生の頃から眼鏡だったのだ。
 サッカーもそうだ。サッカー王国静岡+キャプテン翼の影響で小学生のころの人気スポーツといえばもうサッカーをおいて他にはなかった。サッカーやらずば人にあらず。静岡とはそんなところだ。 しかし僕は陸上や水泳ならともかく、球技と名の付くスポーツはからっきしダメだったのでスポーツ選手になりたいとは微塵も思わなかった。

 では一体何がやりたかったのか、と考えるとどう考えても僕の人生に影響を与えた、というより僕の人生を変えてしまった男が二人いることに気が付くのである。
 彼らは名をオオタ君と言う。二人ともオオタ君。そして二人とも僕と同じ町内に住んでいて同じ小、中学校だった。
 一人目のオオタ君は仮にゴウという名前にするが、実家から数件離れた家に住んでいた。小1のときから同じクラスだったのだが、大変勉強の出来る男で僕の当面のライバルと言えた。 で、彼の家には、親が技術者ということもあってパソコンが置いてあった。先日パソコン年表という奴で調べてみたら少々記憶違いをしていたようなのだが、そのパソコンは当時最新鋭を誇るPC−8801+フロッピーディスクユニットという代物だった。 やはり同じ時期に同級生だったキタムラ君に初めてLSIゲームというものを遊ばせてもらってからすっかり電子系ゲームの虜になっていた僕は当然その電子系ゲームの親分とも言うべき88に転んでしまった。 当時プレイしたゲームは、どんなものだろう……「鍵穴殺人事件」「サラダの国のトマト姫」「デゼニランド」「フラッピー」「倉庫番」「アルフォス」「ちゃっくんぽっぷ」「フォーメーションZ」などなど……(同世代の人、ここは懐かしむところですぞ!) またその技術屋の親が打ち込んだ、BASICのゲームもあった。そこで僕は「ゲームは自分で作ることも出来るんだ!」ということを知った。小学2年生のころの話である。

 もう一人のオオタ君は仮にツヨシという名前にするが、こっちは実家から200m強離れたところに家があった。小学5年くらいの時、オオタゴウ君から「近所にマイコン(当時はパソコンのことをマイコンと呼んだ。 マイコンピュータの略ではないということを知ったのはだいぶ後になってからのことだ…)がある家を知ってるから、これから遊びに行こう」という話になって彼にくっついて行った先がツヨシの家だったわけだ。 ツヨシの家にはこれまた当時最新鋭のX−1が置いてあった。X−1には88にはないスーパーインポーズ機能、高性能の音源ボードなど、娯楽性に富んだ機能が満載で、 すっかりパソコンゲーマーと化していた僕はこのシャープの最新鋭マシンにもぞっこんになってしまったのだった。

 そして、僕はこのツヨシとつるんでX−1用ゲームを作り始めることになる。ツヨシがプログラマ、僕が企画全般だった。どんなゲームだったかはまた別の機会に書こうと思うが、 今にしてみると当時理系人間だった僕が企画ばっかりやっていたところをみると、デキの善し悪しや大きさはともかく企画屋の「受け皿」そのものはすでに持っていたのだと思う。 この受け皿がいつ僕の中に現れたのかは分からない。が、しかしそんな僕がたまたまオオタゴウ君と出会い、ツヨシとゲームを作ることになったのは受け皿の有無は全く関係のない、単なる偶然の巡り合わせだったと言える。
 きっと今の僕は、単にこの延長線上にいるに過ぎないのだろう。もし彼らに出会っていなければ今頃僕は公務員とか銀行員とか、そういう堅実な道を毎日歩んでいたに違いない。

 この二人のオオタ君が、僕の人生を大きく変えた「運命の男たち」なのだ。

つづく



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